アシアナ基金は、アフガニスタンのストリートワーキングチルドレンセンター「ASCHIANA」の支援を行っています。
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岡野弘幹が見たアフガンの子供たち

〜雑誌ソトコト02/12月号より〜
 アフガンの子供達に2000台の楽器をプレゼントするために、ミュージシャン岡野弘幹がカブールを訪れた。音楽による平和交流緊急レポート 構成・聞き手・谷崎テトラ

 ミュージシャン岡野弘幹は今年の8月23日から9月4日までアフガニスタンの首都カブールを訪れた。アフガンの子供達に2000台の楽器をプレゼントするためである。内戦とタリバン政権の25年間、音楽のコンサートが開かれることはなかったという。アフガンの子供に音楽をとどける試み。帰国直後の岡野弘幹インタビュー。
病院で子供と一緒に演奏する岡野弘幹
▲病院で子供と一緒に演奏する岡野弘幹
photo:カガヤサナエ
■アフガンの状況
 8月23日に成田を出て北京経由でイスラマバードへ。そこで一泊して翌日カブールへはいりました。アフガンの状況はまだ渾沌としていてね。現地に行く一週間くらいまえにジャララバードのNGOセンターが爆破されて死者が出たと聞いていた。A型肝炎も蔓延しててアフガン国内だけでも2万人近い人感染者がでている。日本の外務省はアフガニスタンに関してはなるべく入国しないように勧告していて、陸路で行った場合、場合によって国境封鎖もあるとも聞いていた。
 アフガンの最初の印象は飛行機から見るとまず空港が爆弾の穴だらけなんですね。空港は飛行場の墓場のような感じになっていてね。ボーイング747の残骸がずらっと並べられていて、片側に壊れた軍用機が並べられていてね、ここが戦場だったって感じました。空港はまだめちゃめちゃで工事現場みたいな状態ですね。入国審査とか掘建て小屋のようなところでおこなう。警備にトルコの軍隊がはいっていた。 

■カブール市街
 カブールの市内にはいって最初に見たのはUN(国連)の車。案外カブール市街の中心はちゃんとした都市機能を回復していてね。官庁街は普通の形でビルが残っているんです。でもよく見るとすべての壁に銃弾の跡。車がけっこうたくさん走っていて。移動手段が車しかなくて、タクシーがたくさん走っている。
 ついた日に爆弾さわぎがあった。ゲストハウスで食事をしようとしたときに爆発音が聴こえた。タリバンの残党かもしれないという。カブールは解放ムードがあるんだけど、戦後の混乱の感じがすごくあって、軍閥とかいろんな対立がある。お金もうけできるひとはどんどんするという雰囲気がある。今後貧富の差もどんどんできてくるかもしれない。カブール市内では家賃が解放前の20倍になっている所もある。
 僕らがいった街のなかではタリバンから解放されたというムードの人はけっこういて、アメリカ空爆に肯定的なひとも多かった。一方でタリバン時代はよかった北部同盟は野蛮だからいやだという人もいて、いま置かれている状況に関しての意見は様々だった。外から僕たちがいえる感じじゃなかった。

■アシアナ・ストリートワーキングチルドレンセンター
 今回行ったのはアシアナ・ストリートワーキングチルドレンセンター。これは空爆の前から活動しているNGOです。家族を亡くしたりして働かなければならない子供達を支援するNGOです。一種の職業訓練学校のようなところ。絵を描いたり、カリオグラフィを学んだり、字を書いたり読んだりできるようにね。子供達は全部で800人〜900人くらい。みな元気なんだけど、地雷で足がなかったりね。授業でも地雷の種類などを勉強したりする。
 そこに今回、子供達の演奏できる楽器を2000台寄付した。ピアニカやハーモニカなど。単に西欧音楽の楽器をプレゼントをするのだけでなく地元のマーケットで地元の民族楽器も購入してプレゼントした。あと寄付金1800ドルで地元の学校で音楽の先生をひとり一年間やとうことができる。
 アフガンでは20年間の内戦中もコンサートはおこなわれてなかった。タリバン政権のこの5年は演奏したら殺されてしまう。だからコンサートは25年ぶり。ミュージシャンはパキスタンに亡命してて、そのミュージシャンたちが帰国してPAを持ってきて協力してくれた。フランスのNGOから借りた舞台で架設ステージを作った。アシアナの子供達がバックヤードの絵を描いてくれた。

■子供達にスマイル!
 コンサートでやった曲に「スマイル」って曲があってね。みんなスマイルって知ってる?笑い顔ってわかる?どんなんかやってみて、なんて見せて!そういうようにダリ語で通訳してもらって、子供達に伝えてもらったんだけど、みんな作り笑いなんだよね。いやそんなもんじゃないだろ。笑顔ってこんなんだよーって笑ってみせると、だんだん、笑顔ができるようになってくる。一度、笑うと、みんな堰をきったように笑うんだよね。子供達、すごく感情を押さえていたんだよ。言葉にしたり、音にしたりできることになれてない。今回一番深く思ったのは、人として笑いたい時笑って、泣きたい時泣いて、間違ってると思ったら間違ってるって言えて、そういう自分を出せる社会の大切さ。自分をもっと表現しようってね。逆に僕も自分も見つめていきたいしね。そういうことをしてきたいなって、彼らに教わった。感じた。学んだ。
 子供達には教育が必要。字を読めない子、書けない子もたくさんいる。表現をしていけることが大切。音楽も素晴らしい手段のひとつ。そういうことの協力していきたいと思った。現地にいってみなけりゃわからなかったけど、僕がやっていること平和運動や反戦運動ではなくて、人間回復運動だったんだよね。

■病院で感じたこと
 最終日、イタリアのNGOが支援している病院、地雷で足をなくしたりした子供たちのところに慰問にいった。そこでのショックは大きかった。小学生とかのちっちゃい子たちなんだけど。
 最初みんなやっぱり暗い顔をしているんだよね。笑わない。笑えないんだ。鈴をもたせて一緒に演奏とかしてみると、少しずつほがらかな顔になって、それで少し笑う。
笑う瞬間、きらきらって輝くんだよね。なんか見ていて涙が込み上げてくるほど。泣いちゃいけないって思ってね、そこでは泣かなかったけど。ベッドのひとりひとりに演奏してまわった。みんな僕が自分のところにくるのを待っているのね。
 楽器を持たせてみると、はじめは言われたからやっているという感じ、だけどだんだん興味をもちはじめて、ああ面白いなってわかりはじめると自分から手を延ばして楽器をさわりはじめる。自分から音を出してみようとはじめる。ようやく笑えるようになる。
 最後、病院をあとにするときも足のない子がベッドから降りていつまでも見送ってくれる。なんか最後はこみあげてきた。この子たちこれから一生この状態で生きていかなきゃならないわけじゃない。いろんな正義があって、アメリカにはアメリカの正義があって空爆がよかったっていう人もいる。でもこうして苦しんでいる人がいてね。いわば辛い目にあっているのは子供達や弱い人だったりするのね。僕はどういうことであれ、どんな理由をつけようが、戦争はいけない。彼らにとってはその爆弾がタリバンのものか、アメリカのものか、正義といおうが関係ないんだよね。いつもと同じように外に遊びにいって、爆弾で怪我をしてしまったってことなんだ。

■せっかく生まれてきたんだから
 神戸の震災のときにもなんにもなくて、大変だったんだけど、人間どうし信頼ができて、助け合えたっていう状況があった。そういう状況とにた感じがカブールにもあった。崩壊したビルのなかで、そういう状況でも、がんばっていきてる人がいて、その場で商売もやって、建物と建物の間の空き地で畑やったりね。人間のたくましさを感じる。そのたくましさに逆に癒される。
 内戦だろうが爆弾が落ちようが、生きてい
くってことを選んで生きてるんだよね。生きようとしている。そのたくましさに逆に癒された。日本では多くの人が死にたがっていてね。鬱病も増えているのはなぜなんだろう。アフガニスタンではみな生きることに前向きなんだ。
 せっかく生まれて来たんだよ。自分の気持ちに正直に生きよう。すごく力強いものを感じたんだよ。彼らに触れて自分自身のことを考えた。


アシアナの校庭で微笑む少女
▲アシアナの校庭で
 
読み書きの授業
▲読み書きの授業
絵を描く子供たち
▲絵を描く子供たち
ノートを取る少女たち
▲ノートをとっている
アシアナの教室
▲アシアナの教室
空のペットボトルが鉛筆入れに
▲空のペットボトルが鉛筆入れに。短い鉛筆が入っている
川に水汲みに来た男の子
▲川に水汲みに来た男の子
photo:Natuyuki Imagawa
イタリアのNGOが運営する病院
▲イタリアのNGOが運営する病院
子供が楽しそうに楽器を演奏している
▲子供が楽しそうに楽器を演奏している
photo:Sanae Kagaya
 
 
 
 
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